2011.3.18 Friday Rinsui blog
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頑張らなくては!
東北地方太平洋沖地震発生から一週間、終日途切れることなく
流れてくる震災の被害状況、どうしても気になるのでつい見てしまう。
被災地のことを考えると気が滅入り憂鬱になってくるのだが、
かといって沈んでいる場合ではない。
これからは被災地以外の元気な人たちだけが頼りになってくるわけですから
みなさん頑張りましょう!
まぁ、物を作ることしか能のない自分が今後どこまで続けられるか
そんなことは分かりません。とにかく前向きに動いていくのみです!
お世話になった三陸町越喜来へ。
今回の震災ですっかり変わり果てた状態になっていると思いますが
あえて昔の写真を掲載させていただきます。
僕達は僕達を育ててくれたこの町を誰もが決して忘れてはいないということ、
遠く離れてはいるけれど応援しています。なにかできることがあれば
力になりたいし恩返ししたいと常に思っています。
30年余り前の写真ではありますが、学生のころお世話になっていたアパート
から眺める越喜来湾と三陸駅上から見た ”駅前商店街” !? の風景です。
(1975年)


若かりし頃をちょっと振り返ってみます。 昭和51年になります。
水産学部は一年目は教養課程で神奈川の相模原になりますが二年目からは
専門分野になり三陸に移ってきます。
写真は学部校舎より釜石方面を眺める。
我ながら若いっす。今はくたびれてますが。

校舎は半島の先端に近いところに位置しており、リアス式海岸特有の山から
直接海に繫がる地形。
タヌキや鹿、イノシシなどが道路に頻繁に出没する自然公園でございました。
最初は誰もが戸惑いを覚えたと思います。
小さな港町、当時は無人駅で娯楽施設もなく、その上商店も少ない、
「えーっ!こんなところで、、」
誰もが口を揃えて言ったものだ。
交通の便も悪く電車の本数は1日数本で車に頼るほかありません。
といっても各自自動車を所有するほど学生達は裕福ではないので、誰かかが
中古車を購入したならそれに便乗させてもらって通学するといった具合でした。
そんな環境に馴染めず去っていったものもいましたよ。
でも時間が経つにつれ、何もないと思っていた三陸に、気づかぬうちにその
すばらしさが徐々に体に滲みこんできていたのでしょう。
海や山、渓流などへと果敢に行動を広げていくうちにすっかりこの地に
溶け込んでしまっていました。
学生アパートも数多く、アパートの大家さんの家族の皆さんにも家族同様に
していただき僕達はお世話になっていました。
大家さんちの朝は早く、いつも僕が就寝する午前3時頃に灯りが灯されて
いました。
夜にもなれば沖合いには漁火が煌煌と照らされて、見上げれば万点の星空
まさに’星降る夜’でしたね。
賑やかな都会もいいけれど、こういう静かなところで勉学に勤しむことができる
のもある意味贅沢なものなのかもしれない。
僕は劣等生でしたので決して勉学に勤しむことなく釣り惚けてましたが、、、
休みの日には(休みといっても毎日休みのようなものですけど)大家さんちの
船を借りてヒラメやカレイ、アイナメなどを友達とよく釣りにいったものです。
つづく

できるだけ大きいやつを物にしたいのでイソメを餌にリュウグウハゼ
まず釣ってからそれを餌にアイナメを、という写真です。越喜来湾より
Shopに新たにネットUpしています。
少しずつUpしていきますがまた覗いてみてください。
それから水産学部の後輩である岡野くんが
”頑張れ!越喜来”という
ブログを立ち上げてくれていて被災の現状を伺うことができたこととても感謝
しています。これから復興に向けて大きな力になっていくと確信しています。
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